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東京高等裁判所 昭和49年(う)2649号 判決 1978年12月14日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人安倍治夫提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官提出の答弁書に各記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一点(憲法違反の主張)について

所論は、原判決は、その審判手続の過程において、次に述べるような不当な弁護権の剥奪ないし圧迫が行われ、被告人に対して著しく不利益かつ不公平な情況下になされたものであるから、憲法三七条一項、三項の規定に違反し、ひいては同法三一条、三二条に違反するものであると主張する。

すなわち、本件弁護人らが消費者運動推進の立場から行ったいわゆる欠陥車摘発運動に対し、これをおそれた自動車企業側(とくに本田技研工業株式会社)においては、右運動を挫折させるため、あらゆる権謀術数をろうし、検察当局に弁護人をざん訴するなどして、その妨害工作をこころみた。そのため、弁護人は、本件(原審)審理中の昭和四六年一一月二日、企業と癒着し、そのひ護者に堕した検察当局により突如として逮捕され、法律事務所から本件訴訟資料を含む多数の民刑事訴訟書類を押収され、弁護士事務は約二か月余にわたって封殺された。あまつさえ、被告人も検察官から「安倍弁護士を解任せよ。そうでなければ、共犯として逮捕する。」などと恫喝される始末で、弁護人は、本件弁護事務につき概ね昭和四七年三月ころまで証拠資料はもとより、起訴状等の書類すら手もとにないまま、記憶のみによって法廷に立たざるをえない状況で、違法審理の状態であった、というのである。

よって、検討するに、本件弁護人が、同人らにかかる恐喝等被疑事件(いわゆるユーザーユニオン事件)の被疑者として逮捕されたことは、なかば公知の事実として明らかであるが、しかし、右弁護人の逮捕等強制捜査は別件被疑事実に関するものであって、もとより本件審理を担当していた原裁判所の関知するところではない。のみならず、本件記録によると、同弁護人の逮捕前である昭和四五年一〇月一六・一七日の両日、大阪地方裁判所において、弁護人側証人道済信幸、同戸川安喜及び同中野信幸に対する出張尋問が施行されたのちは、昭和四七年三月一六日第八回公判期日まで約五か月間審理もなく(この間後記小口鑑定書の作成を待っていたものかと推測される。)、同期日においても職権により右道済ら三名の各証人尋問調書を改めて書証として取調べたほかは、弁護人側申請による鑑定人小口泰平作成の鑑定書が法廷に顕出され、検察官の不同意により、弁護人において鑑定証人として右小口泰平の申請が行われ、これが採用されたにとどまっている。さらに、同年六月五日の第九回公判期日においては、担当裁判官がかわったことにより公判手続の更新とすでに採用されていた証人等の尋問期日が指定されたのみで実質的審理は行われず、同年七月一九日に至ってはじめて前記鑑定証人小口泰平の尋問が施行されたに過ぎない。しかも、その間、弁護人は、本件審理の進行に関し何らの異議をも申し立てていないのである。

右のような訴訟経過にかんがみれば、所論の主張する期間、本件審理においては、重要性のある実質的な審理は殆んど行われておらず、別件による強制捜査のため弁護人としての訴訟活動が不当に制約されたものとは、本件に関する限り到底認めることができず、また、検察官において被告人に対する所論のような恫喝があったというような事実は、記録上全く窺知することができない。

以上のような諸事情によれば、所論の失当であることは明らかである。論旨は採用の限りでない。

控訴趣意第二点(審理不尽の主張)及び同第三点(訴訟手続の法令違反の主張)について

所論は、(一)、本件事故現場において、被告人運転の本件事故車両が蛇行を開始した地点、すなわち、二四・九キロポスト付近から八王子方面に至る約一〇〇メートル、とくに一〇メートル前後にわたる路面の勾配が「上り」か「下り」かは、本件における重要争点の一つである。しかも、この点に関し、検察側及び弁護人側各提出の証拠間には著大かつ実質的なくい違いがあるのにかかわらず、原審は検証による確認を怠り、弁護人申請の証人津崎利夫を却下し、同地点を「ゆるい上り勾配」と認定した。したがって、原判決には、著しい偏見か、さもなくば審理不尽の違法がある。また、(二)、原審が、本件の最大争点の一つであるホンダN三六〇の欠陥性の有無に関する東大教授亘理厚作成の鑑定書(予備的に同鑑定書の控または写)の提出命令を故なく却下したことは、裁判所が真実の発見をみずから放棄したもので、原判決には審理不尽の違法がある。さらに、(三)、原審は、弁護人が第一七回公判において申請した証拠一ないし九の二のうち、六及び七については検察官の意見も聴取せず、採否未決定のまま放置して結審しているが、このような審理手続は判決に影響を及ぼす訴訟手続の法令違反がある、というのである。

そこで、所論の各主張につき、原審において取調べた各証拠を精査し、以下順次に検討を加える。

(一)、現場道路の勾配について

(1)、本件事故は、東京都八王子市石川町字西野一、六七九番地先の高速自動車国道中央自動車道、富士吉田線下り二四・九キロポスト付近(進路片側は追越し及び走行車線の二車線で、幅員は各三・六メートル、進路右側に中央分離帯、同左側に路肩三・二五メートルの余地があり、全面アスファルト舗装)を、東方東京都調布市方面から西方神奈川県相模湖町方面(八王子方向)に進行の際発生したものであって、右現場付近の道路につき、原判決は、その「弁護人の主張に対する判断」のなかで、所論のごとく「わずかに上り勾配である」と認定している。

(2)、そこで、右勾配の点に関する直接の関係証拠をみるに、(イ)検察官側提出の司法巡査岡田勲作成の捜査報告書(昭和四七年九月二八日付)と、(ロ)弁護人申請の証人林善三(N三六〇全国被害者同盟委員長)の証言(但し、原審第一四回公判におけるもの)及び津崎利夫(前同事務局長)作成のカラー写真綴(昭和四八年二月七日撮影)が存在する。そして、原判決が掲げる(イ)の報告書によると、本件道路の二四キロポスト地点から二五キロポスト地点間は〇・三四パーセントの上り勾配、二五キロポスト地点から二六キロポスト地点間は一・五パーセントの上り勾配とされているので、原判決の前記事実認定が、(ロ)の現場写真綴をも証拠標目に挙示しているけれども、主として、検察官側提出の右(イ)の報告書に依拠したものであることは明らかである。

(3)、ところで、所論は、右一キロ単位の勾配測定は、本件については関連性がなく無意味であるとし、前記津崎利夫が水準器を使用して測定した結果では、二四・九キロポストから二五・〇キロポストまでの約一〇〇メートルの間は微下降し、とくに、本件車両の蛇行開始地点付近の二四・九キロポスト付近より八王子方向の一〇メートル前後の路面は、地盤沈下による段差の形状をおもわせる状態において顕著に「下り勾配」を示すと主張し、前記(ロ)の写真綴中、路面に液体(コカコーラ)を流し、その流出方向が八王子方向に流れている部分を指摘し援用する。

しかし、右写真による液体の流出方向及び状況は、まず道路中心部方向に流れ、ついで八王子方向へ若干流れて停留している状態であり、また、前記林善三の証言によると、同人も津崎とは別に、本件道路二四・八八キロポスト付近において牛乳を流下してみたというのであるが、その際、牛乳は道路中心部方向に流れてから「逆への字」形になって八王子方向に流れたというのであって、右のような流出状況及び原審証人万膳義太郎の証言等に徴すれば、右現場付近が段差状の顕著な「下り勾配」になっていたものとは到底認めることができず、さらに、二四・九キロポストから二五・〇キロポストにかけ微下降するとの点についても、これを認めるに足る客観的証拠はない。のみならず、右各流下実験は、その使用液体量も極めて少量で小範囲のものであり(なお、林の証言によると、津崎の実験は、大工の使う水平器で六〇ないし七〇センチメートル測定した程度のものという。)、右のような態様の実験が、はたして勾配の測定と称しうるものか否かは問題であり、かつ、その方法も科学的実験に値するものとも認めがたい。

(4)、これを要するに、「わずかな上り勾配」の現場において、上り勾配に若干そぐわない液体の流下現象が微視的に散見されたからといって、微視的には路面のうねり、しわ等もありうることを考慮すれば、本件現場付近の道路の勾配に関する原判決の認定は、必ずしも不自然ないし矛盾とはいえず、部分的な右微視的現象をもって原審の右認定を否定する論拠となりうるものとは到底認めることができない。右のような諸事情及び原判決の掲げる各証拠、なかんずく、前記万膳義太郎の証言、本件現場に関する司法警察員作成の実況見分調書(現場写真を含む。)等が取調べられていることなどを考えれば、事故現場の状況も明らかであり、事実認定の証拠としても十分であると認められ、原審が検証を実施せず、また、津崎利夫の証人申請を却下したことをもって、偏見等を有し、審理不尽による訴訟手続の法令違反ないし事実誤認等があるとの非難は不当というのほかはない。所論は理由がない。

(二)、亘理厚作成の鑑定書の却下について

(1)、記録によると、弁護人は、原審第一〇回公判(昭和四七年八月一四日)において、所論のいわゆる亘理鑑定書(ホンダN三六〇につき東京地方検察庁が東京大学生産技術研究所教授亘理厚に鑑定を嘱託した事項についての回答書)の取寄申請を行い、これを採用した原審が保管庁である東京地方検察庁に対し右鑑定書の送付方を依頼したところ、別件公判中の証拠書類であるとの理由でこれを拒否されたこと、第一六回公判(昭和四八年九月七日)に至り、弁護人は、右亘理鑑定書の提出命令(予備的申立として東大生産技術研究所に対する右鑑定書の控ないし写の存在を条件とするその提出命令を含む。)を申請したこと及び原審は、右申請につき証人早野宏取調終了後まで採否の決定を留保したあと、第二〇回公判(昭和四九年五月九日)において、右提出命令の申請を却下したことが明らかである。

(2)、しかしながら、本件で対象となっているいわゆる初期ホンダN三六〇の車両特性、とくに操縦性、安定性等の欠陥性問題については、当事者双方からの申請により、(イ)株式会社本田技術研究所取締役森潔、同主任研究員早野宏作成の『「初期ホンダN三六〇の高速域における安定性についての批判的考察」(いわゆる鑑定的意見書)に対する批判』(松田文雄作成の「初期ホンダN三六〇の高速域における安定性能についての批判的考察」((以下松田意見書という。))添付)と題する書面(以下本田意見書という。)、(ロ)原審における鑑定人東京芝浦工業大学助教授小口泰平作成の鑑定書、(ハ)原審及び別件(東京地方裁判所刑(わ)第六六四〇号、第六七七三号、被告人安倍治夫、同松田文雄に対する恐喝・同未遂被告事件、いわゆるユーザーユニオン事件)における各鑑定証人小口泰平の原審鑑定証言と右別件における尋問調書、(ニ)原審及び別件(大阪地方裁判所被告人道済信幸に対する再審事件)における証人松田文雄の原審証言と同別件における尋問調書、(ホ)原審及び別件(前記ユーザーユニオン事件)における証人早野宏の原審証言と同別件における尋問調書、(ヘ)モーターファン一九六七年六月号のホンダN三六〇に関する学者及びホンダ側技術者らの座談会記事、(ト)モーターリング・ホイッチ一九六九年一月号のホンダN三六〇等に関する記事などが取調べられているのであるから、前記N三六〇の車両特性等、すなわち、欠陥性問題についても自動車工学上の専門的、技術的見地からの多面的詳細にわたる審理がなされているわけであり、また、亘理鑑定書(但し、本件事故車両に関するものではない。)についても、その要旨の回答書写(検察官作成の照会事項に対する回答書添付)が、原審第二一回公判(昭和四九年六月二七日)において、同意書面として取調べられているのである。

以上のような証拠調の状況及び結果等に照らせば、N三六〇の車両特性等に関し、必要かつ十分な審理を尽したものというべく、所論の提出命令を故なく却下したものとは認めることができない。

(3)、それゆえ、原審が右提出命令を却下したことをもって、真実の発見をみずから放棄し、審理不尽による訴訟手続の法令違反があるとする非難は失当であって、所論は採用できない。

(三)、証拠申請に対する採否の決定が一部未了であるとする点について

(1)、記録によると、弁護人が第一七回公判において申請した証拠のうち、証拠採否の決定が未了であるとする番号六(ホンダN三六〇の事故アンケート通信原票写)及び七(ホンダN三六〇事故分析表三〇例)については、はたして原審が所論のごとく決定を遺脱したものと即断しうるかについては、多大の疑問が存するところである。

(2)、そこで、まず、右六及び七を含む一連の証拠採否の訴訟手続の関係をみると、その経過は次のとおりである。

すなわち、原審第一七回公判において、弁護人は、申請番号一ないし七の証拠を証拠物として証拠調の請求をしたところ、検察官から、右各証拠はいずれも書証であって証拠物としての申請は違法である旨の異議が述べられ、原審は右証拠採否の決定を留保した。そして、第二〇回公判においては、その証拠関係カードによると、「弁護人、第一七回公判で証拠物としての請求を書証として変更し、同公判調書添付の請求番号六、七を除き、別紙弁護人証拠申請目録記載のとおり」と記載され、請求番号一ないし三は意見次回、四は同意・決定取調済、五は決定取調済(意見欄が空白であるが「同意」の脱漏と推認される。)となっている。ついで、第二一回公判において、検察官は、前記一ないし三及び弁護人からあらたに申請された番号八及び九の一、二につき、いずれも同意し、それらはすべて証拠調がなされている。

ところで、右六及び七については、以後結審時まで何らの措置もとられておらず、また、そのことにつき、弁護人から異議その他の申立もまったくないのである。

(3)、以上の手続経過にかんがみると、弁護人は、第二〇回公判において、前記第一七回公判における各証拠物としての証拠申請をあらためて書証としての申請に切り換えたわけであるが、その際、右六及び七については、証拠調の請求を撤回したものと解するのが相当である。従って原審が書証として申請されなかった同証拠につき、検察官の意見を聴取せず、また、その採否の決定をしなかったことは、もとより当然の措置というべく、訴訟手続の法令違反はない。論旨は理由がない。

控訴趣意第四点(事実誤認の主張)について

所論は、つぎのようである。すなわち、本件事故車両であるホンダN三六〇は、車体全体としての横剛性等において十分でないため、時速約八〇キロメートル以上の高速走行時において著しく操縦性・安定性を欠き、パワーオフなどによるわずかな動揺を原因として容易、かつ、突然にローリングやヨーイングを開始するという内在的欠陥を有している。そして、本件事故の原因は、N三六〇が右の欠陥を含む幾多の設計上・構造上の欠陥(高速域における操縦性・安定性の欠如)を有していたことと、前部動力・前輪駆動車であるという同車両の特質とに由来するものである。従って、右型式に不慣れな平均的自動車運転者にすぎない被告人において、本件事故の発生を予見することも(予見可能性)、克服することも(回避可能性)できなかったといわなければならず、被告人に過失責任はない。

詳説すれば、そもそも、N三六〇は、四輪自動車の設計・製造に経験の少ない本田技研工業株式会社が、非常に短いリードタイムで、速度、居住空間・廉価の三点をセールスポイントとして設計・製造した欠陥車なのである。すなわち、右欠陥の第一は、操縦性・安定性が欠如していることである。その主たる要素としては、ロール率が他社の軽四輪自動車に比し著しく過大で、この欠点を完補する設計的配慮がないこと、手放方向安定性テストにおけるヨーイングの易発性及び収斂度が不良であること、パワーオフ時の巻込み現象(極端なオーバーステアへの急変)がとくに著しいこと、また、パワーオン時には強いアンダーステアであり、しかも、ハンドルが重いのに反して、パワーオフ時において、その巻込みが生じた場合の、修正のための緊急操舵は軽く、かつ、オーバーステア気味で、操舵性の不安定と相まって操舵困難を招来することなどを挙げることができる。第二の欠陥は、ステアリング系統、サスペンション系統及び走行系統の各設計部品の大部分が粗悪で、かつ、必要部品が省略されて全体の剛性が不足し、このため早期異常摩耗が多く、操縦性・安定性の不完全さに拍車をかけていることである。第三の欠陥は、ホイールアラインメントが不完全なことである。すなわち、全体の剛性不足もあって、一人乗車時では前輪がややトーアウトであるが、定員四人乗車時にはトーインとなるなどアラインメントが荷重によって変化し、しかも、走行中の荷重移動に伴う各輪別の変化量が他社の軽四輪自動車に比し著大である。そのため、各輪別に異なる荷重のかかる旋回時には、とくにこれが著しく、大部分の荷重がかかる車輪と、全く浮き上った車輪とは著しく異なったホイールアラインメント数値を示し、操舵・走行の不自由をきたし、ドライバーの意思にかかわりのない非線型運動をすることとなり、蛇行開始・操蛇不能・衝突・転倒の現象が生ずる一因となっている。

そして、以上の操縦性・安定性の欠陥を招く機械工学的要素としては、無数の設計・製造上の負因とその競合が考えられるが、とくにその負因となるものとしては、原判決が「弁護人の主張に対する判断」の項において説示する(イ)ないし(ヲ)の一二点を指摘しうるのである。そもそも、本件蛇行開始のきっかけは、被告人の過剰操舵や過剰制動によるものではなく、本件現場における突風(横風)と突然の下り勾配により車が小さく左右にゆれ出したためである。そこで、被告人は、直ちにパワーオフしてハンドルを微修正し、蛇行を最少限度にくいとめようと努力したにも拘らず、車は被告人の意に反して蛇行拡散して制禦不能に陥り、ついに転倒大破するに至ったのである。これを要するに、本件事故は、N三六〇独特の欠陥による不可抗力的挙動の連鎖に起因するものであるのにかかわらず、被告人に原判示注意義務及び過失の存在を認めて、被告人を有罪とした原判決には事実誤認がある、というのである。

しかしながら、原判示事実は、原判決の掲げる各証拠により、優に認めることができ、所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調の結果を合わせ考えても、原判決には所論のような事実誤認は認められず、原判決が、その「弁護人の主張に対する判断」の項において詳述するところも概ね是認できるものと考える。

以下所論にそくして主要な点につき説明を付加する。

一、N三六〇の欠陥性について

(一) 本件における欠陥車両の対象及び欠陥概念等について

まず、N三六〇の欠陥問題については、その対象車両及び概念等につき必ずしも明確でない点があるが、所論並びに原審及び当審で取調べた各関係証拠を総合すると、一応次のように考えられる。すなわち、

(1)、対象車両としては、昭和四三年式N三六〇として昭和四二年後期から同四三年秋ころにかけて製造された車両(車体番号一〇七二六一八号ないし一二四三六五〇号)であって、その中でも、なかんずく継続使用六か月ないし一年(総走行距離一万キロ以上)を経たものであるとする(右車両は、部品・装置の経時変化による異常摩耗の進行によりその欠陥性が一層顕現化されるとし、本件事故車両((車体番号一一五六三三一号、走行距離一〇、七〇六キロメートル))は、右車両に含まれるものであるとする。)。

(2)、そして、右欠陥の概念については、当該「自動車の正常運転時において、事故が発生しもしくは発生する蓋然性のある、主として操縦性・安定性に関する構造・装置または性能の不良(材質の不良を含む)のもので、その原因が設計または製造過程にあるもの」というと解される(但し、右は、道路運送車両法七五条一項に基づく昭和二六年運輸省令第八五号型式指定規則一三条「設計又は生産過程に起因する欠陥に対する措置」((昭和四四年八月三〇日改正・同年九月一〇日施行))にいう「欠陥」の意義・対象とは必ずしも同一のものではない。)。

(3)、また、本件において、操縦性とは、走行中の自動車が操舵に対応して敏感に動く性質をいい、安定性とは、走行中の自動車の運動が外乱や多少の操舵などによっても乱されがたい性質をいうものと解する(以下操安性と略称することもある。この場合自動車工学上では単なる省略以上の意義を有するようであるが、そのような厳密的な用法によるものではない。)。

(4)、右操安性に影響する要素としては、主として幾何学的問題、重心位置、重量配分、ロールセンター、フロント・サスペンションの諸特性、空力中心の問題、ニュートラル・ステアポイント、車体形状によるリフトの問題及びタイヤ特性等があるとされ、また、車の操安性に関する試験方法には、操縦性を主としたものに、8字走行試験、スラローム試験、車線変更試験等があり、安定性を主としたものに、直進安定性試験、横風安定性試験、円旋回試験、突起乗越試験等があるとされる。そして、操縦性と安定性とは相互に密接な関係があるとされているが、概して一方を良くすれば、他方が悪くなるといった相反する性格のものである場合が多いといわれる。

(二)、N三六〇の製作過程等について

(1)、前記早野宏の当審及び別件における証言等によると、同車の製造過程は次のようである。すなわち、昭和三八年ころ基礎研究をスタートし、同四〇年四月ころ先行試作車によるテストを実施し、同年一二月ころからクレーモデルによるN三六〇の原型が製作され、同四一年二月以降一一月までの間に六次にわたる試作車でのテストが行われ、同年一一月一七日運輸省から型式認定を受け、同四二年三月に量産に入り、約一、四〇〇台を販売したが、これら車両については、当初、時速約一〇〇キロ程度における操安性を重視してアラインメントを設計したものの、実際には、右時速による走行はまれであるうえ、モニターテストやユーザーの意見では、ハンドルが重く、キックバックが多少強すぎるということであったため、一応、回収(いわゆるフィーリングの問題として)し、キャンバー角二度を一度に、トーイン七ミリをトーアウト二ミリにするなどアラインメントを変更したというのであって、以後昭和四六年NⅢ型発売まで変更がなかったことが窺われる。

(2)、以上の状況によると、N三六〇の開発、量産発売につき、リードタイム(その意義・内容等は必ずしも一定していないようである。)が短かすぎるとも速断できず、前記回収も所論にいういわゆる欠陥車の理由に基づくものとも断定することはできない。

なお、本件事故車両は、原審証人万膳義太郎の証言及び小木曾英俊の司法巡査に対する供述調書によると、昭和四三年六月新車として購入したもので、前記車両回収後の発売にかかる車両であること及びディーラー指定の一、〇〇〇キロ、三、〇〇〇キロ、五、〇〇〇キロ及び一万キロの各点検整備を経たもので、全般的に整備良好な車両であったことが認められる。

(三)、N三六〇の駆動方式及び欠陥性等について

(1)、証拠によれば、N三六〇は、前方動力・前輪駆動方式(いわゆるF・F方式)を採用していることが認められる。

ところで、所論に沿う松田意見書によると、N三六〇の右駆動方式自体が大きな欠陥源となっているというのである。すなわち、F・F方式は、前方動力・後輪駆動方式(いわゆるF・R方式)や後方動力・後輪駆動方式(いわゆるR・R方式)に比し、低・中速域では操安性の差異が目だたないが、高速域でドライブ(急加速)をかけたり、急にパワーオフして減速させるときには著しい欠陥を露呈するとして、ハンドルの重さの変化、コーナーリング時における巻込み特性が過大であることを挙げている。

しかし、前記小口泰平の鑑定証言及び鑑定書によると、F・F方式を採用した車両は、N三六〇に限られず、同人が右鑑定に際し、N三六〇との比較車両として使用した国産の軽四輪自動車五車両のうち、フェローマックス、ミニカ七〇がF・F方式であり(同車両は、本件記録上いずれも欠陥車とはされていない。)、F・F車とロール率とはあまり関係がないとされていること、また、いわゆる亘理鑑定書によると、F・F車は一般に横風に対して安定性がよいといわれていること、さらに、前記早野宏の証言及び本田意見書によれば、F・F車の操安性の良さは既に定説となっているとし、ハンドルの重さについては、コーナーリングの際におけるパワーオフ時とパワーオン時で若干の差を感ずるようであり、また、コーナーリング特性については、他の駆動方式と比べるとアンダーステアの傾向が強い方であるとし、従って、巻込みも大きい方であるといえるようであるが、いずれも実走行時に影響を与えるものではないというのである。

以上の諸点及び証拠を総合して考えると、F・F方式それ自体が欠陥源であるとする前記松田意見書の見解は採用の限りでない。従って、右見解に基づく所論は失当というべきである。

(2)、ところで、所論の欠陥性理論は、前記のように、N三六〇の機械系固有の特性(不具合)から、ある一定のパターンによる事故が必然的に発生するものとし、それら各種要因を詳論しているのであるが、前記松田意見書並びに松田文雄の原審及び別件における証言等は、自動車工学上ないし技術上の見地から、右所論を支持するものである。

そして、松田意見書等によれば、N三六〇には、他社の軽四輪自動車に比し、つぎのような特性が認められるとする。すなわち、(イ)ロールが大きく、また、ロール入力による車両運動の応答が大きいこと、(ロ)ヨーイングの減衰不足のため、とくに高速域で収束しないこと、(ハ)パワーオフ時にステアリング特性の変化が大きいこと、(ニ)その他車体各部に剛性不足ないし不均衡が存在し、部品の早期異常摩耗、トレッドの不足、重量配分及びホイールアラインメントの不完全性が認められること等である。また、これらが相まって中・高速で走行中わずかな外乱や操舵により過大なロールや蛇行を発生させ、また、わずかなカーブ、下り坂でのパワーオフにより予想以上の巻込み現象を生じ、これらロール等によりキャンバー角等が変位し、実舵角に比して車輪の方向性に過大な影響を与え、非定常運動が開始され、これらが運転者に心理的な恐慌状態をもたらせ、これを修正しようとしてハンドルの過剰操作を誘発し、却って舵行を拡散する結果となり、平均的な運転者の運転技術をもってしては制御できず必然的に事故に結合するというものである。

(Ⅰ)、しかし、右のような論理及びこれに依拠する所論には、N三六〇の車両特性と事故発生の過程との間に、その主張する機械系固有の要因のみならず、運転者の運転操作及び心理状態等不確定な運転特性(制御特性)を介在させていることが看取され、後に詳述するように、前記車両特性と事故原因との間には、さらに究明さるべき未解決の因果関係の断層が存在するのであって、このような観点からは、所論は、飛躍した論理であるといわざるをえない。

(Ⅱ)、ところで、右松田意見書等は、前記早野の原審及び別件における証言並びに本田意見書等により逐一反論されているのであるが、両者の意見を対比して考察すると、本田側意見は、自動車の操安性の問題につき人(ドライバー)と車とを一つの系列(いわゆる人車系理論)としてとらえ、運転者の制御特性(運転特性)を重視する点において松田意見書等とは顕著な対立を示している。すなわち、

(Ⅲ)、右の本田側意見によると、操安性の理論体系は、現時点においても未解決な研究分野(もっとも、ESV((実験安全車))、MVSS((自動車安全基準))等自動車の安全性及びその基準を目標とした種々の研究があるが、いずれも操安性評価の一提案であり、研究の深化とともに変動し、共通の客観的基準としては確立しておらず、いずれも検討段階の域を出るものではないという。)であり、前記各種の試験方法によるあまたの要素に関し計測された個々の試験結果は、そのまま直ちに操安性の良否を示すものではなく、自動車の個々の要素についてその機械的特性(傾向)をみるための方法にすぎず、操安性については、現在なおその要素も計画方法も未確定な多面的要素が絡み合って形成される総合的な性能であるとしている。

(Ⅳ)、そして、松田意見書等については、その指摘する前記(イ)、(ロ)、(ハ)の機械的特性を認めつつも、右特性の係数は、限界(非線型)走行時の試験結果による特性値から導出したものであって、通常の運転者が右のような状態に至る運転をすることは、いわゆる無謀運転の状態に属するものであり、それ自体(N三六〇に限らない。)事故発生と結びつくもので、操安性とは関係がなく、また、N三六〇における限界時の特性値の大小の差異も、通常走行時においては、他社の車両との比較において数値上の比率差も小さくなるうえ、運転の実際においては、かりに、剛性不足の部分があるとしても、運転者の修正操作を伴うため操安性上の問題になることはないと述べ、その他の欠陥性の主張を含め詳細に反駁してN三六〇の欠陥車であることを否定している。

(Ⅴ)、のみならず、さらに、松田意見書等に対する批判としては、同意見書が同車に関する雑誌等のロードテストの数項目の試験結果をとりあげて、操安性の良否のみならず、危険があると断定しているのは明らかに行きすぎであり、ましてやテスト結果の一部分しかも運転者の操舵・心理的要素を巧妙に混入して事故原因としているなどは飛躍もはなはだしいと述べている。

(3)、しかし、ここで注意すべきことは、右本田意見書及び早野の証言等は、同人らがいずれもN三六〇の製作責任者であり、その欠陥性問題については、当然、防衛的、弁護的立場に置かれざるをえないことなどを考えると、その意見、反論等についてはさらに一層慎重な検討が必要である。

(Ⅰ)、しかしながら、原審及び当審における事実取調の結果、ことに、前記小口泰平作成の鑑定書並びに同人の原審及び別件における各鑑定証言、亘理厚作成の検察庁に対する「鑑定嘱託書に対する回答(鑑定補充説明書を含む。)」謄本(所論のいう亘理鑑定書)及び亘理厚の当審における証言等に徴すると、大筋において、いずれも前記本田側の意見及び結論を支持しているものと認められる。

(Ⅱ)、もっとも、右亘理鑑定書には、N三六〇の、一般的な車両構造上及び運動性能上の問題点として、所論及び松田意見書等で指摘する前記(三)、(2)の(イ)、(ロ)、(ハ)を含む多種類の事項を指摘し、平均的運転者が「本件車両を運転するには、かなりの運転技術と本件車両の運動性能についての十分な習熟とを要し、本件車両を時速八〇キロメートル以上の高速域においても使用することを許容するものとすれば、本件車両は一般大衆車として不適当であろう。」とも記載されていて、一見、本件N三六〇の欠陥性を指摘しているとも解釈しうるような表現がなされている。

(Ⅲ)、だが、その補充説明書を合わせて通観すれば、右指摘にかかる問題点は、操安性の良否という観点からの評価ではなく、技術上とくに注目した性質・性能を列挙したにすぎないものであって、結局、それらがいわゆる操安性を阻害し、事故発生の危険性を内包しているということまでも述べたものではないことが明らかとなる。

(Ⅳ)、そして、右補充説明書によれば、各種実験を通してみても、同車両には運転者の意に反し突然蛇行するといったような異常な挙動ないし、その徴候と考えられる現象は一切現われなかったと述べ、また、操安性良否の測定基準といったものは世界的に存在せず、操安性の問題は、ドライバーという人間特性との関係において評価されるものであって、これを切り離した車自体の性能・特性のみをもって断ずることはできないといい、N三六〇が軽乗用車の中にあって、とくに操安性に問題があり、安全性に欠ける車であると理解するのは間違いであり、他車と比較して平均値的なところにあると考えられると結論し、N三六〇に限らず、一般に軽四輪乗用車は、軽量であるとともに外乱に対する反応が敏感であるところから、高速運転化傾向の中では一般大衆車として解放することは不適当であるとの私見を述べ、かつ、平均的運転者とは、免許取得後間もない者、経験未熟者、法令軽視者等の低辺層と読みかえてよいと付説しているのである。

(4)、以上の諸点等から考えれば、前記本田意見書及び早野らの前述のごとき立場を十分に考慮しても、それらの意見・証言等には自動車工学上ないし技術上の正当性を有するものとして肯認できるものというべきである。

(5)、そうすると、自動車の操安性の問題については、前述のいわゆる人車系理論の観点に立って考察すべきものであると考える、

ところで、所論及び松田文雄の原審証言によると、緊急事態において、平均的運転者の修正能力に期待することは無理であり、車自体により、そのような事態をカバーするようでなければならないとするのであるが、右のような見解は現状では理想論というのほかはない。また、松田意見書等によるN三六〇の欠陥性及び事故原因論は、機械系の特性にドライバーの操舵、心理関係を混在させ、車の特性(傾向)試験時における極限走行を通常走行時の運転にすりかえるなどし、自動車工学の専門的見地からみて幾多の批判を免れないと考える。

以上の観点から各証拠を総合して考えると、原判決がその「弁護人の主張に対する判断」の項において、所論指摘の各欠陥要因につき詳細に論じて欠陥性を否定し、本件事故車両に関しても欠陥車と認められない旨説示するところは、概ね正当として肯認しうるところである。

(四)、また、所論は、原判決の右説示は、いずれも本田技研主任研究員早野宏の所説を恣意的に援用した無批判的な「受け売り」にすぎないもので科学的根拠に乏しく、弁護人(原審)の立論の明らかな誤解、すなわち、欠陥因子を部品欠陥と混同し、各欠陥因子の相乗的影響を無視する暴論である、とも主張する。

しかしながら、前記のように早野証言等は学問上も技術上も科学的合理性を認めうる所説であり、これを援用したからといって非難に値する点はなく、原判決には、所論のような誤解、混同の誤りがあるとは認められない。また、所論の相乗的影響論は、実際に各欠陥因子の存在を前提とする場合においては、一般論として是認しうるけれども、前記(イ)、(ロ)、(ハ)の諸要素等は、車の設計・製造をする者が意図した用途、使用層、性能、商品性等諸般の点を考慮して総合的に決定している分野であって、前記のように車の運動特性にすぎないのであるから、これらがそのまま操安性を阻害し、事故発生の危険性を内包するという欠陥因子となるものではない。従って、所論は、その前提事実を欠き採用できない。のみならず、各証拠によれば、右のような車両特性は、それ自体が複合的な運動性能であって、たとえば、ロール率の測定時にはおのずからヨーの問題が入り、パワーオフのテストにはロールを含んで計測されるというように、もともとが複合的な現象に対し、右各要素は観点をかえて見たものにすぎず、従って、それらがさらに相乗的に干渉するような関係にあるものではないことが認められる。それゆえ、この点においても所論は採用の限りでない。

(五)、(1)、次に所論は、N三六〇の欠陥性は、イギリスのコンシューマーズ・アソシェイションの走行テストの結果にも示されているとして、モーターリング・ホイッチ一九六九年一月号の関係記事をあげている。

しかしながら、右テストの結果(なお、右テストの方法等については本田側に強い異論がある)、同誌において、とくに指摘する欠陥なるものは、要するにブレーキドラムのひび割れとステアリング・ギャボックス内のピニオンプッシュの破損の二点を主とするものであって、同誌では「これらの問題が解決するまで推せんできない。」としながらも、「しかし、これらが修正されれば、その機敏で包括的装置はこのクラスにおけるメインアトラクションになるであろう。」とその結論を要約しており、右の欠陥性が無視できないものであるとしても、原審における早野証言によると、右のような事例は他に皆無であったこと及び本件で最も問題とされている操縦性・安定性については、同誌においていずれもフェアリーグッド(七段階評価中の第三位)、横風安定性についてはグッド(同第二位)の評価づけがなされており、同誌を通読すれば、N三六〇に対し、所論における欠陥車と認定しているものとは認められず、所論の論拠となすに足るものとは考えられない。

(2)、さらに所論は、同様の趣旨で、フランスのレビュ・テクニーク・オートモビール誌第二七五号(オートジャーナル第四四五号、一九六九年一月四日号の抜すい)中のN三六〇の関係記事を援用する。

同記事は、N三六〇のレーシングコースにおける試乗結果を要約したものであって、その指摘する諸点は、サスペンションの不良性のほか、必ずしも明確でないが、概ねステアリング剛性の不足、ロールの過大、ヨーイングの易発性、巻込み特性等と思われるが、その内容は簡略であるうえ、テストの方法、データーの記載もない。同記事において、とくに強調されているサスペンションの不良性については、前記本田意見書、早野宏の別件における証言及び亘理鑑定書を総合すると、N三六〇がとくに不整が著しいとか、その影響が操安性上問題である車両とは認められない。その他同記事にあらわれている走行ないし車両特性については、既に原判決が正当に説示しているところであって、欠陥性を有するものとは認められない。

これを要するに、前記記事は、原審及び当審で取調べた各証拠と対比し、科学上の根拠が不明のうえ、内容的にも簡単、粗雑のものであって、所論の論拠となりうる価値あるものとは認めることができない。

(六)、なお、所論は、N三六〇に欠陥のあることは、同車及びその発展車両を含めた同一系列の車種における数次にわたる設計変更の経過が、従来の欠陥車運動において指摘した安全設計の示唆に従って是正されていることからも証明されているというのであるが、N三六〇が欠陥車と認められないことは前記のとおりであり、その後製造発売された「ニューホンダZ」(空冷または水冷)、「ホンダライフ」等は、N三六〇とは全く別個の企画、設計、製作による車種であって、所論の示唆を採用したとの証拠は認められず、所論の論拠となるものではない。

(七)、次に所論は、N三六〇は蛇行転倒の事故が多発しており、しかも、これらはわずかな外乱(主としてパワーオフによる荷重移動)によって車体の横ぶれが始まり、蛇行が拡散して人為的な修正・収束が困難となり転倒するという共通のパターンを示していることからも、同車の欠陥性を指摘しうるとする。

記録に徴すると、右主張には、いわゆる疫学的方法ないし思考(とくに消費者運動及び法律家の立場等から、欠陥車問題の追及には、その欠陥性が自動車工学上明確に実証しえなくとも、車両の特性と一定のパターンによる事故発生との間に、推計学的・統計学的に事故原因となりうる可能性ないし蓋然性があれば証明しえたものとする。)の働いていることが窺われるが、その論拠たる主要事故例三〇例は「N三六〇全国被害者同盟」から所属会員にあてて送られたアンケートの通信原票に図解入りで報告されたものであるというのであって、その大部分は検証されたものとの証拠もなく、共通のパターンを示しているかどうかさえ疑問である。従って、所論の論拠は、いわゆる疫学的手法の見地からも、その現象論的条件が極めて不完全であり、前記のように学理上との整合性にも欠けているのであって、採用しえない。

二、本件事故の原因について

本件事故の原因については、原判決が詳細に判断を示しているところであって、右判断が概ね是認しうることは、本論旨の「事実誤認の主張」に対する冒頭で述べたとおりである。しかし、所論は、なお、多数の点を指摘して原判決の事実認定を非難しているので、その主要な点について若干説明を加える。

(イ)、所論は、原判決が、早野宏の再現実験に依拠して、本件事故車両の事故直前における走行速度を時速約九七キロメートル、転倒開始直前の速度を時速約九〇キロメートル、また、その際における車には約〇・六七Gの横向き加速度が加わっていた、と認定しているが、これらはいずれも誤りである。何となれば、右早野宏の再現実験は、そもそも基本データーがあいまいで、現実と一致しない無意味なものである。従って、これに依拠した右事実認定には裁判所の独断性と露骨なメーカー傾斜が窺われる、と主張する。

証拠によると、原判決の右事実認定は、所論のごとく、原審証人早野宏の行った本件事故の再現実験に関する証言に依拠したものと認められるのである。

ところで、右早野証人は、何といっても前述のごとき立場にある者であるから、その証言の信用性については、さらに十分な吟味が必要である。

右の見地から同証言を検討するに、同証言によると、右実験は、検察官の再現実験の依頼及び指示に基づき、早野らにおいて、本田技研のテストコースで実施したものであること、実験に際しての資料は検察官から提供され、同資料により、実験条件が示され、かつ、説明を受けているが、右資料等は、概ね本件事故現場におけるスキッド痕、走行軌跡の状況、事故車両の転倒、回転の状況、それらの距離及びブレーキ操作の状況に関するものであること、実験に使用した車両は、本件事故車両と諸条件の近似するものであって、無人操縦装置、計測機等を用い、実験も反覆行われていることなどが認められる。

以上の状況に徴すると、右再現実験は、本件事故発生前後における関係諸要素を根拠に行われたものであって、データがあいまいであるとか恣意的なものとは認められない。もとより再現実験の性質上、現実の事故とその条件、状況等においてまったく一致するものでないことはやむをえないところであるから、それをもって右実験が無意味であるとすることはできない。

しかも、早野証人は、右実験の実施、実験結果の分析、判断等については、必要とされる知識、経験を有すること及び右実験の実施状況等については、右証人尋問において、当事者双方から詳細な尋問がなされ、その供述内容に合理性を有することが認められるので、これらを合わせ考えると、同証人の前記のごとき立場を十分に考慮しても、同証言はその信用性を認めるに足るものというべきである。

従って、右再現実験は、本件にとって参照しうる価値と意義を有するものであって、原判決が、右早野証言に基づき前記車両速度等を認定説示した点も、科学的合理性を有するものというべく、独断であるとする所論の非難(もっとも、原審の判断は、いささか右実験結果にとらわれたきらいがないでもない。)は相当でない。所論は採用できない。

(ロ)、所論は、原判決が「被告人がハンドルにシミーと呼ばれる小きざみなゆれを感じ」と認定している点は誤りであって、被告人の感じたのはヨーイング的「横ゆれ」であって、シミーではないと主張する。

案ずるに、所論指摘の部分は「弁護人の主張に対する判断」の項において説示するところのものであるが、その「罪となるべき事実」の項においては、シミーなる用語を用いず、単に「ハンドルが左右にふれてきて、車体がわずかに動揺し、」と判示しているにとどまる。

ところで、前記早野宏の原審及び別件における証言等によれば、高速シミー現象(高周波的震動)は、タイヤ及び重量のアンバランス等により、高速走行時においてすべての自動車に生ずるものであるが、通常、方位性はなく、操安性に影響を及ぼす現象ではなく、N三六〇においては、時速九二キロメートル前後から発生し、九八キロメートルぐらいがほぼピークになると述べている。そして、被告人の捜査官に対する各供述調書をみるに、被告人は、事故直前の状況につき「走っていると車に小さいふれを感じた、特にハンドルにゆれを感じた」、「車体が軽いのに高速道路のためハンドルが小さく左右にゆれだした」旨供述しているので、原判決は、その「主張判断」中において、右時点における車両速度を時速約九七キロメートルと算出される旨判断しているところから、被告人のいう「ハンドルのゆれ」を右車両速度とに照合してシミー現象としてとらえ、技術的用語にあてはめて説示したものと思料される。従って、右説示部分に関する限りは、右用語の使用には根拠を有するものというべきである。

ただ、原判決は、その「判示事実」において、右車両速度を「時速約九〇キロメートルで走行中」と判示しているので、「主張判断」中の速度認定と若干のくい違いを示しており、かつ、右判示速度はシミー現象発生の限界値であることにかんがみると、前記説示部分に問題がないわけではない。

しかし、右速度のくい違いは、いずれにしても高速走行性の領域に入るものであって、本件における被告人の注意義務、従って過失の存否判断に影響を及ぼす性質のものとはいえず、また、技術的用語のあてはめも重要視すべき事柄ではなく、いずれも破棄理由とするに足るものではないと考える。

問題は、所論において、被告人のいうハンドルのゆれた現象が、突風(横風による風圧)と突然の下り勾配によってゆれだしたヨーイング的「横ゆれ」であると主張する点であり、かつ、その事実の存否である。

しかしながら、右走行現場付近が所論の主張するような下り勾配と認められないことは既述のとおりであるうえ、右のような突風が吹いたとの証拠も存しない。却って、司法警察員纐纈外二名作成の昭和四四年一月四日付実況見分調書によれば、右見分時(同日午前九時一〇分から同一〇時一三分の間)は西風で、草木がざわざわと音をたてる程度で走行上支障はないとの記載に徴すると、本件事故発生(同日午前八時五〇分ころ)当時の風向は、本件事故車両にとっていわゆる向い風であったと認められるのである。しかも、事故発生時における車両の走行軌跡は、その軌跡状況、波長等からみてヨーイングの軌跡ではなく、ハンドル操作による蛇行軌跡であることは、前記小口泰平の鑑定証言、早野宏の証言等にかんがみ明認しうるところと考えられる。

そうすると、所論は、その前提事実を欠き失当というのほかなく、以上の点に関する原判決の非難は採用の限りでない。

(ハ)、所論は、原判決の説示中「そこで、軽くブレーキを踏んで、右振幅を止めようとした」との点は誤りであるとし、被告人は、この段階ではパワーオフをしハンドルの微修正に専念し、ブレーキペダルを踏んでおらず、踏んだのは転倒直前ころであると主張し、被告人も原審公判廷において、概ね右主張に沿う供述をしている。

しかし、原審において弁護人の同意により証拠調がなされた被告人の捜査官に対する各供述調書によると、原判決の認定した右事実を優に認めることができるうえ、とくに、司法警察員堀内外二名作成の昭和四四年一月四日付実況見分調書によれば、被告人は、右ブレーキペダルを踏んだ地点等を指示説明していることも明らかであるから、右各証拠と対比すると、被告人の前記原審公判廷における供述は措信できない。従って、所論は失当というべく採用できない。

三、結論

以上の次第であって、原判決には所論のような事実誤認を認めることはできず、本件事故がN三六〇の欠陥性に基づく不可抗力であるとする論旨は、すべて理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文によりその全部を被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 高山政一 裁判官 田尾勇 裁判長裁判官草野隆一は退官につき署名押印することができない。裁判官 高山政一)

<以下省略>

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